車を買う。これは“今”の決断だ

“今じゃなきゃダメ”なんですか?

“今”だから買おうと思った。
自由に、会いに行きたい人がいる。
“今”じゃなきゃ会えないかもしれない。
会いに行く手段を悩む時間こそが、後悔につながる。

“今じゃなくても良い”ものは何?

大胆に行動する割に、私は心配性な面がある。
自分が無知だと自覚した日から、私は常に焦ってきた。
“未来に必要になるかもしれない”、そんな知識や経験をお金をかけて必死で集めようとした。

無駄なものは排除したっていいんじゃない?

ちょっと前に読んだ『プリンシプル オブ プログラミング』という本を思い出した。
プログラミングはシンプルに。
今必要のないものは、むしろ邪魔になる、そんな考え方だった。

人生も同じで、今必要ない“後で使うかもしれないもの”を詰め込みすぎると、かえって動けなくなる気がする。

シンプルに生きよ

先々の予定を入れてしまう私よ!
無い物ねだりの私よ!
もっとシンプルに生きよ。
予算通りに動けば、大丈夫だから。
必要なのは、その場の空気や不安に飲み込まれずに、お金の流れを断つ勇気。
予算内で“今”を楽しめ。

後悔するな

きっと親や他の人は呆れるだろうな。
もっと賢いやり方がある、と。
まあ、いいか。
ずっと今にコミットした生き方がしたかった。
いつだって私は未来にしか目がなくて、現在はそのための準備期間だった気がする。
“今やること”にワクワクする。
未来を準備するだけの日々から、少しずつ抜け出してもいい頃だ。

課題が道標になった

たくさんの「できるかもしれない」の山に囲まれて、私はずっと身動きが取れなかった。
何も行動しなければ可能性は無限大で、選択肢はいくらでもある。
選択肢の多さは私を圧倒して息苦しくさせ、逆に足をすくませる。
行動することは私にとって「諦めること」であり、「選択肢を狭めること」だった。

「何でもできる」が苦しかった

私が小学生の時はすでに日本の食料自給率は低く、地球温暖化は進行していて、両親の仲は悪かった。
問題だらけの世界だと思った。
私は当時、アニメや空想が好きで、想像の中で、私は何でも解決できるスーパーヒーローだった。
その想像は立ち止まってなんでも出来ない本当の自分とのギャップを色濃くした。
何もせず「できるかもしれない」ことを想像して、出来ない自分に落ち込んだ。

「課題」がくれた方向性

大学で農学部を選んだのは、消去法だった。
在学中、心に引っかかったのは実習でお世話になった集落だった。
高齢化・過疎化が進み「限界集落」に分類されるその集落で、大学生に実習の場を提供している人がいた。
日本の課題のお手本のような場所に私には見えた。
これを目の当たりにして、私はこのまま卒業していいのか?
見なかったことにして生活できるのか?
そう思った私は大学3年生の時に、その人にお願いして週に1, 2回手伝わせてもらうことにした。
その実習の中で、自分にはいくつもの問いが生まれた。
「どうすればこの土地で生計を立てられるだろう」
「どうやって限界集落は生まれたのか」
「なぜ私は何も出来ないんだろう」
これらの問いは無数にある可能性の連峰の中で、私に道を示してくれた気がした。
“この課題に向かって歩いてみよう”

「諦める」ための行動

まず、就農の道を考えた。
私は就活を進めながら、気になった農業系のベンチャー企業の畑に見学に行ったり、農家バイトや住み込みで酪農バイトをしてみたりした。
卒業後も週末農業を試したが、私の性分に合っていなかった。

生産がダメなら農作物に付加価値をつけられる人間になったらいいんじゃないか?
そんな考えで調理師を目指した。
これもダメだった。
本当に料理をすることが好きじゃないと、新しい発想は生まれないと実感した。

私はそんな無力感を感じる中で、社会についていかに自分の無知であるかを思い知った。
私はNHK高校講座で歴史(日本史・世界史)を学び直した。
簿記を勉強した。

歴史を学ぶ中で、私がこれまで目にした課題が「突然現れたもの」ではなく、歴史の中で生じたことを理解した。
そして、それ以上に多くの課題が歴史の中では生まれ、解決されてきたことを知った。
歴史の中で、これまでの人々がどれだけ熱心に当時の課題に向き合ってきたのかを知り、行動をする中で、今現在もそれぞれ立場で今の課題に向き合う人々に出会った。
何よりも無知と無関心が課題を大きく育ててしまったのだと感じた。
そして、簿記の勉強を面白いと思った。

行動をしていくと、見えてきたことは一人の努力ではどうにもならないということだ。
私は持っていた課題を「解決しようともがくことを諦める」ことを決めた。

課題の結末

  • 「限界集落」の課題は根深く、一人で張り切っていても解決はできないと理解した
  • 課題を認識し、試行錯誤している人間がたくさんいることを知った
  • それぞれの立場で考えたことを継続して実行することで世界が少しずつ動くと感じるようになった
  • 「好きな学び」が見つかった事で、私は私の専門性を持って社会に向き合っていきたいと感じるようになった

最後に

振り返って当時を眺めると、たくさん行動していたなと感じる。
これは「誰かのため」と思い込んでいたからこそできたことだと私は考えている。
率直に言ってしまえば、実際には部外者である私にあの集落の人が何かを期待していた訳はないと思っている。
ただ「あの場所に恩返しがしたい」、その思いが原動力となって、今まで私を突き動かしてくれていたなと強く感じている。

「夢」があった訳じゃない。
心に引っかかる課題があって、恩を返したい人がいた。
誰かのために何かしたいと足掻いた結果は、課題の解決には繋がらなかったが、おかげで私は登ってみたい山を見つけた。

なぜブログを書くか

私がブログを始めた理由

  • 「未経験の今」を記録する
  • 書く練習
  • 発信者への憧れ

私はこれまでに転職を何回かしていて、「新人」として働くのは今回が初めてではない。
おかげで、仕事に就いたばかりの時にどうすれば早く仕事ができるようになるか、自分なりに考える習慣ができた。

ただ、今回の仕事はこの先ずっと続けていきたいと思っている仕事で、「新人」はもう経験するつもりはない。
だからこそ、この「新人」の感覚を記録しておこうと思った。
後から読み返したときに「あの時自分はこう頑張ったんだな」と思えたり、何か新人教育に携わる機会があったら利用できたりしたら良いなと思っている。

このブログ自体は書くことの習慣化と今の記録が目的。
私の人生は面白い本や配信動画、お笑いなどに支えられてきたので、自分自身も何か面白い発信ができるようになれたらいいなと思っている。
発信という形でなくても、身近な人と何か面白いことを共有できるような人になれたらと思っている。