反射する私:資質で形どる自分の心

心が揺れる瞬間に、私が見えてくる

何かのきっかけで自己嫌悪に陥ったり、SNSを見て誰かを羨ましいと思ったり、自分の感情が外部の刺激で大きく揺れる瞬間があると思う。
この時をネガティブに捉えるのではなく、自分の心の形を知る手掛かりになる場合があると考える。

心を分類する“言葉”との出会い

私は去年、妹の勧めでストレングスファイダー受けた。
(ストレングスファインダーとは米国ギャラップ社の開発したオンライン「才能診断」ツール。以下、「ストファイ」と表記。)
ストファイの診断結果によって、自分がよく使う思考・感情・行動のパターンにラベリングができる。

自分との対話に、AIという相棒を

私はストファイの結果をChatGPTに共有し、その特徴をまとめてもらうために色んな質問をした。
「この資質の組み合わせはどんな傾向を持つ人なの?」
「どんな仕事に向いているの?」

色んな角度で質問する内に、自分自身にも思い当たる節が出てくる。
「私はFPの勉強で、動画でインプットするよりも本を読んでインプットする方が得意かもしれない(自分のペースで学びたいのかもしれない)」
「私がよく自己嫌悪になるのは、達成欲という資質が強く出ているからかもしれない」
どの資質の傾向が強いかによって安心できる環境は違う。
自分自身がより心地良く進めるヒントを見つけ出すことができる。

上位資質だけでなく、下位資質にも目を向けてみると面白い。
意識しているつもりの行動を示す資質が下位の場合もあるだろう。
その時、実は上位資質の組み合わせで補っている場合がある。
そういうこともAIと会話をしながら分析すると面白いとおもう。

自分自身が持つ違和感をChatGPTに投げる習慣が付いたら、もっと言葉にしづらかった心の引っかかりも投げられるようになってくる。
「この人のこの発言が心に引っかかる」
「私はこんな風にしたいのにうまく行かない」

“名前”がつくと、安心できる

自分の心の形が分からないと漠然とした不安が残る。
自己嫌悪への恐怖から人に迎合して息苦しさを覚えたり。

ストファイを通じて資質を分類する言葉を得て、自分の心が揺れる瞬間をAIに投げかけることで、その症状を自分でラベリングする。

ラベリングすると具体的な対策が思いつき、処方箋として適切な行動を思いつくことにつながる。

心の「毛布」を手放すとき

ライナスの毛布

今考えると、高校以前の私には安全基地がなかった。
自分にも他者にも信頼を寄せることはなかった。
大学に入り、「課題」を見つけて浮かれた。
やりたいことができたから。
行動することは気持ちが良かった。
「課題」の伴った行動は、心に響く気がした。
それは多分、ライナスの毛布のように「課題」は私の心の安定剤になっていた。

近づくほど見えなくなる「課題」のゴール

不安や悩みは立ち止まった時に発生する。
行動しているときは、心は自由で心地良い。
だから立ち止まることが怖かった。
「課題」がある限り、私はそれに向かって行動できた。
ただ何かできるようになる度に、社会の解像度が上がる度に、私は自分の課題のゴールが見えなくなっていった。
どこを目指していたんだっけ?

ゴールのなかった「課題」

学びたいことができて、私は好きと「課題」を天秤にかけようとした。
もしくは、それらの共生の道を探ろうとした。
10年間大事に抱えてきた「毛布」はびっくりするほど薄っぺらい。
私はこの「課題」に何を求めていたのか?

手放した課題は形を変える

行動するために「課題」が必要だった私が居た。
でも、今同じ形でその「課題」を持ち続ける必要はない。

“「課題」は私に必要なものだった”
“「課題」は何か夢中になれた私に立ち返れる場所となった”

本だけではなく、景色や経験、出会いが学びになる、それを教えてくれた場所だった。
私はその場所の発展を願う以上に、そこで得た学びに感謝した。
学ぶことが楽しくて仕方なく、私はこの場所の「課題」を拝借して自分が学ぶ理由づけにした。
私の本当の目的は、「課題」の解決ではなく、「学び続けられる環境」だった。
いつまでも甘えているわけにはいかない。
私は外からもらった「毛布」を手放して、私の自身の課題を見つけに行かなけばならない。

課題が道標になった

たくさんの「できるかもしれない」の山に囲まれて、私はずっと身動きが取れなかった。
何も行動しなければ可能性は無限大で、選択肢はいくらでもある。
選択肢の多さは私を圧倒して息苦しくさせ、逆に足をすくませる。
行動することは私にとって「諦めること」であり、「選択肢を狭めること」だった。

「何でもできる」が苦しかった

私が小学生の時はすでに日本の食料自給率は低く、地球温暖化は進行していて、両親の仲は悪かった。
問題だらけの世界だと思った。
私は当時、アニメや空想が好きで、想像の中で、私は何でも解決できるスーパーヒーローだった。
その想像は立ち止まってなんでも出来ない本当の自分とのギャップを色濃くした。
何もせず「できるかもしれない」ことを想像して、出来ない自分に落ち込んだ。

「課題」がくれた方向性

大学で農学部を選んだのは、消去法だった。
在学中、心に引っかかったのは実習でお世話になった集落だった。
高齢化・過疎化が進み「限界集落」に分類されるその集落で、大学生に実習の場を提供している人がいた。
日本の課題のお手本のような場所に私には見えた。
これを目の当たりにして、私はこのまま卒業していいのか?
見なかったことにして生活できるのか?
そう思った私は大学3年生の時に、その人にお願いして週に1, 2回手伝わせてもらうことにした。
その実習の中で、自分にはいくつもの問いが生まれた。
「どうすればこの土地で生計を立てられるだろう」
「どうやって限界集落は生まれたのか」
「なぜ私は何も出来ないんだろう」
これらの問いは無数にある可能性の連峰の中で、私に道を示してくれた気がした。
“この課題に向かって歩いてみよう”

「諦める」ための行動

まず、就農の道を考えた。
私は就活を進めながら、気になった農業系のベンチャー企業の畑に見学に行ったり、農家バイトや住み込みで酪農バイトをしてみたりした。
卒業後も週末農業を試したが、私の性分に合っていなかった。

生産がダメなら農作物に付加価値をつけられる人間になったらいいんじゃないか?
そんな考えで調理師を目指した。
これもダメだった。
本当に料理をすることが好きじゃないと、新しい発想は生まれないと実感した。

私はそんな無力感を感じる中で、社会についていかに自分の無知であるかを思い知った。
私はNHK高校講座で歴史(日本史・世界史)を学び直した。
簿記を勉強した。

歴史を学ぶ中で、私がこれまで目にした課題が「突然現れたもの」ではなく、歴史の中で生じたことを理解した。
そして、それ以上に多くの課題が歴史の中では生まれ、解決されてきたことを知った。
歴史の中で、これまでの人々がどれだけ熱心に当時の課題に向き合ってきたのかを知り、行動をする中で、今現在もそれぞれ立場で今の課題に向き合う人々に出会った。
何よりも無知と無関心が課題を大きく育ててしまったのだと感じた。
そして、簿記の勉強を面白いと思った。

行動をしていくと、見えてきたことは一人の努力ではどうにもならないということだ。
私は持っていた課題を「解決しようともがくことを諦める」ことを決めた。

課題の結末

  • 「限界集落」の課題は根深く、一人で張り切っていても解決はできないと理解した
  • 課題を認識し、試行錯誤している人間がたくさんいることを知った
  • それぞれの立場で考えたことを継続して実行することで世界が少しずつ動くと感じるようになった
  • 「好きな学び」が見つかった事で、私は私の専門性を持って社会に向き合っていきたいと感じるようになった

最後に

振り返って当時を眺めると、たくさん行動していたなと感じる。
これは「誰かのため」と思い込んでいたからこそできたことだと私は考えている。
率直に言ってしまえば、実際には部外者である私にあの集落の人が何かを期待していた訳はないと思っている。
ただ「あの場所に恩返しがしたい」、その思いが原動力となって、今まで私を突き動かしてくれていたなと強く感じている。

「夢」があった訳じゃない。
心に引っかかる課題があって、恩を返したい人がいた。
誰かのために何かしたいと足掻いた結果は、課題の解決には繋がらなかったが、おかげで私は登ってみたい山を見つけた。